小林先生,被爆体験「伝承者」の活動
2015年04年15日 | 日記
この度,社会科の小林悟先生が,毎週金曜日のピースボランティア活動に加え,被爆者に代わり,被爆体験や平和への思いを語り継ぐ「伝承者」としての活動も始められることになりました。すでに,4月10日(金)付の中国新聞,朝日新聞などでも紹介されています。同じく,社会科で長らく教鞭に立たれていた多賀先生もピースボランティア活動や多くの平和活動を継続されておられます。多賀先生の「ピースボート」世界一周ご報告は先日,写真だけでしたので,また先生からのコメントをいただく予定です。
それでは,下記の小林先生の思いをお読みください。私たちも一緒にその思いに応えていけるように,日々の活動に励みたいです。
【被爆体験伝承者として伝えたいこと】
広島平和記念資料館には被爆時12歳から15歳までの中学生・女学生の遺品が多く展示されています。ちょうど今の中学生に当たる年齢の人たちのものです。
特に中学校や女学校に入学したばかりの1年生が、被爆時に爆心地近くの屋外にいたため、このときの犠牲者の大半を占めています。
原爆投下のこの年の4月に、憧れの学校に入学したばかりなのに、生徒は授業を受けることも無く、ましてやクラブ活動なども楽しむこと無く、ひたすら毎日空襲に備えて建物の取り壊し作業や弾薬などの兵器の運搬、兵隊さんの服や帽子・靴をつくる作業に動員されていました。それもお国のためと必死になって空腹に耐えながらがんばっていました。私は現在までの40年余りの教師生活で出合った多くの生徒の姿と、この遺品を見て感じる被爆当時の生徒の姿が頭の中で重なってくるとき、何ともやりきれない思いになります。被爆死した彼ら彼女らの『安心して普通の学校生活を送りたい!』という願いがかなわなかった無念さと、戦争のさなかにあって心から平和を求めた願いを少しでも次の世代に伝えることができればと強く心に感じるのです。私が被爆体験伝承者になろうとしたのもその思いからです。
私が伝承する被爆体験は、中西さんという当時の高師付中(現在の広大付属高の前身)の4年生(当時15歳)が、今の出汐町に建物が残る陸軍被服支廠で被爆された体験をベースにしています。
中西さんは被爆されながらもほんのわずかな運命の違いで奇跡的に生存され、犠牲になった方々の無念さと平和への思いを今日まで伝えてこられました。でも、今や実際に被爆を体験され、その記憶を語れる人たちが高齢となられています。
次の世代がその体験を受け継がなければ、被爆という事実が風化してしまいます。『過ちは繰り返しません』と戦後の広島の人たちは誓いました。そのためにも、その『過ち』がどんなことだったのかという事実を私たちは正しく知り、後世に伝えなければなりません。