校長日誌

一覧へ戻る

2019年04年17日 | 校長日誌

「ノートルダム Notre Dame」(「私たちの貴婦人」というフランス語)…聖母マリアを意味する学校名を冠する本校より、パリのノートルダム大聖堂の火災に関して、心よりお見舞い申し上げます。また、本校にもお見舞いのお電話やお気持ちを寄せていただき、感謝申し上げます。
世界が誇る建築遺産、観光名所というだけでなく、パリ市民やカトリック信者などの心の支柱としても大切な大聖堂が炎上してしまいました。人命は助かり、建物の一部は残ったとはいえ、本当に胸が痛みます。私は、これまで二度ほど訪れたことがあり、パリといえば、まず最初に向かった場所でした。約10年前の写真ですが、当時の美しい姿を少しご紹介させてください。

 

現地時間の夜にパリに到着してすぐ向かいました。夜はこのように美しくライトアップされています。翌朝も早速、訪れてみました。横から見ると、尖塔が高くそびえ立っていました。高さ90m(25階くらい)の尖塔も含め、中世の時代に建てられたご苦労、信仰、技術に思いを馳せました。

 

中のバラ窓(ステンドグラス)は圧巻です。

 

ゴシック建築の特色は、荘厳な外観、天井の高さ、尖頭アーチ、大きな窓などで、権力の隆盛や新興市民の豊富な財力を象徴していると言われますが、入ってみての率直な感想は、差し込む美しく柔らかな光に、天国にいる気分でした。

表玄関の部分は、見事な浮き彫り彫刻の数々です。

 

この行列は、上まで登る人たちです。作家ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」の舞台としても知られていますし、ナポレオンの戴冠式が行われた場所でもあります。ナポレオンが皇帝に就任した同じ年(1804)に、マザージュリーは女子教育を志し、ノートルダム会を創設しました。

私たちの10年前の旅の目的は、聖ジュリーの足跡を辿ることでした。ということで、故郷クビリーのあと、もう一つのノートルダム聖堂にも向かいました。マザージュリーゆかりの地、アミアンにあるノートルダム大聖堂です。ちょうど鐘の音が鳴り、荘厳さが増しました。(一方で、この鐘の音で当日は閉扉となりました。残念…)

「ノートルダム」(聖母マリア)に献げられた大聖堂は、アミアンの他にもシャルトルやランスなどにもあり、おそらく世界中のノートルダム聖堂でこの悲しみを分かち合い、再建に向けて祈っておられることと思います。今、ちょうど聖週間で、次の日曜日のイースター(復活祭)に向けて、祈りを捧げる日が続きます。私たちも宗教の授業や終礼などで共に祈り、心を寄せたいを思っております。カトリック研究会では、この金曜日に「十字架の道行き」の祈りを行う予定です。

*****************************

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン (アヴェ・マリアの祈り)

*****************************

感謝と祈りのうちに

一覧へ戻る